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連載③「疎開」松代焼の名称をつけ普及させた内島北朗

今年は戦後80年です。本会の小林一郎会長は、数年前から調査してきた、長野県内に疎開した文化人を冊子にまとめて発行します。


冊子の発行は7月末ですが、長野市民新聞に、6/28(土)から、「疎開 長野に暮らした著名人」の連載が始まりました。長野市とその近郊への疎開者連載は、7月半ばまで続く予定です。




7/3(木)第3回は、俳人・陶芸家の内島北朗(1893~1978)です。


松代一帯で焼かれていた陶器を「松代焼」と呼び、その名称を普及させたのが北朗だったとされています。

昭和17年(1942)12月に、一家5人で安茂里小柴見に移り住みました。

小林会長は、「爆撃から守るために、収集した古陶器を地下に埋めて守ろうとした北朗が、戦後掘り出したら大切にしていた茶入を割ってしまい『泣いても泣ききれない』と悲しんだ」と紹介しています。

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