推理作家・羽志主水とは?【監獄部屋】
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- 2023年4月24日
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本会の会長・小林一郎は2011年~2014年まで、ブログで郷土史について発信してきました。
その記事を選り抜き、こちらに再掲していきます。

2011年05月30日
善光寺表参道に生まれた小説家羽志主水
小林一郎
長野市や長野県内出身の小説家には、全国的には「知る人ぞ知る」作家でも、地元では全く知られていない人物が何人もいます。その中で今日は長野市出身の羽志主水(はしもんど)(1884~1957)を取り上げます。
鮎川哲也著『こんな探偵小説が読みたい――幻の探偵作家を求めて』という本があります。12人の探偵小説家(推理小説家)とその代表作を紹介した本ですが、その冒頭に「今様赤ひげ先生」として取り上げられているのが羽志主水です。
羽志主水こと松橋紋三は明治17年、長野市西後町の金物屋「鍋久」に生まれました。生家跡地は現在、くしくも北野文芸座になっています。松橋家は代々久左衛門と名乗り、県会議員や市長を輩出した名門です。羽志主水は東京帝国大学医学部を卒業して、東京で医者になりました。そのかたわら、小説を書きました。「羽志主水」というペンネームは、本名からきていると思われますが、大学時代に友人であった幸徳秋水を意識しているとも言われます。
羽志主水が小説を発表したのは、雑誌『新青年』でした。この月刊誌は、江戸川乱歩や横溝正史らを世に送り出したことで知られています。羽志主水が『新青年』に掲載したのは、『蠅の肢』(大正14年8月号)、『監獄部屋』(大正15年3月号)、『越後獅子』(大正15年12月号)の3作です。羽志主水が『新青年』の作家であったのは、わずか1年半の短い期間でした。このうちの『監獄部屋』が羽志主水の代表作とされています。他にも小説を書いたといいますが、活字化されたものはないようです。
著作権の切れた作家の文章を集めた青空文庫というサイトがあります。ここで『監獄部屋』と『越後獅子』を読むことができます。代表作の『監獄部屋』は評価の高い作品です。ぜひ読んでみてください。これを探偵小説に分類することの是非を話し合うのもおもしろいでしょう。
ところで大正15年、長野県では3警察署の廃止計画に対する反対運動が激化し、7月18日には長野市で大騒動がありました。いわゆる警廃事件です。この時、松橋久左衛門県議(羽志主水の兄)は廃止に賛成したということで、鍋久は乱入され打ち壊されました。羽志主水が『新青年』に掲載をやめたのはその直後です。そのことと、この実家の不幸は、何か関係があるのでしょうか。






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