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善光寺の「耳なし芳一」

昨年、芥川賞作家・円城塔が小泉八雲の『怪談』を新訳して出版しました。


原文では、外国人にとって聞きなれない日本語がそのままローマ字であらわされており、あえてその異国感を活かした翻訳の結果、「耳なし芳一の物語」は「ミミ・ナシ・ホーイチの物語」となっているそうです。


さて、今回は小林一郎会長の過去のブログより、善光寺を舞台にしたもう一つの「耳なし芳一」の話をお送りします。

 

もう一つの「耳なし芳一」

小林一郎


 「耳なし芳一」は、小泉八雲の『怪談』に収められた名作です。これとよく似た怪談が、善光寺の周辺にもあります。寛文3年(1663)に出版された『曽呂利物語』という本にある、「耳切れうん市が事」です。


 登場人物は「うん市」と「けいじゆん」です。原典にはこのように表記されていますが、読みにくいのでここでは漢字を当てて、「運市」と「慶順」としておきます。


 善光寺の尼寺に、運市という越後の座頭(盲人)が出入りしていました。ある時、久しぶりに運市がこの尼寺を訪れ、夜寝ていると、慶順という尼僧が来て、自分の部屋へ招きます。実は慶順は30日ほど前に亡くなっていて、これは亡霊なのですが、盲人の運市は気づきません。運市はそのまま閉じ込められてしまいました。


 三日ほどして運市は助け出されました。慶順をとむらい、怨念を払うために、百万遍の念仏が行われました。するとそこへ慶順が姿を現しましたが、念仏の功徳で眠ってしまいました。


 その間に運市は逃げ出し、馬に乗って越後への道を急ぎました。ところが後ろから取り付かれるような気がして、なかなか進みません。とうとうある寺に助けを求めました。僧たちは運市の体中に尊勝陀羅尼を書きつけました。


 追いかけて来た慶順は、「運市を出せ」と捜し回って、とうとう運市を見つけ出すと、耳を引きちぎって行ってしまいました。耳だけ陀羅尼を書き足りなかったのです。


 こうして命の助かった運市は越後に帰って長生きし、「耳切れ運市」と呼ばれたということです。


 この原文は、岩波文庫の『江戸怪談集・中』で読むことができます。

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