古牧出身の小説家・小林蹴月
- インターネット担当
- 2023年4月26日
- 読了時間: 2分
今回も小林一郎会長のブログから、より抜いてお送りします(一部、時代に合わせて加筆しました)。

2011年05月31日
古牧出身の小説家・小林蹴月
小林一郎
前回に続き、長野市出身の小説家を紹介します。今日は小林蹴月(しゅうげつ)(1869~1944)です。月を蹴るというペンネームがいいですね。
小林蹴月(本名小林芳三郎)は明治2年、現在の長野市古牧中村に生まれました。はじめは長野の新聞社に勤めましたが、やがて東京に出て新聞記者となり、中央新聞ややまと新聞に小説を連載するようになりました。その小説の多くは、その後単行本として出版されています。国立国会図書館には蹴月の著書が32点所蔵されていますが、これ以外にもまだ著書があります。
蹴月の代表作は『変化傘』(へんげがさ)でしょう。これは明治41年、喜多村緑郎らによって新派劇として上演され、評判になりました。後に新派を率いた花柳章太郎は、この時初舞台を踏んだということです。また蹴月の小説は、当時始まったばかりの映画となって上映されています。『こんくらべ』(明治45年)、『灯』(明治45年)、『其夜の月』(大正2年)、『夜半の鐘』(大正4年)などが映画化された例ですが、これ以外にもありそうです。
蹴月の妻は、『修善寺物語』で知られる劇作家の岡本綺堂の従姉妹です。大正12年の関東大震災の時、綺堂は蹴月の家に避難しました。蹴月は綺堂を通して、多くの作家や演劇人とつながっていました。
蹴月は俳人としても知られています。また骨董鑑定の大家でもあって、『当世書画大通』という本を著しています。そうした点で、蹴月は文人と言うにふさわしい作家でした。
こうして東京で活躍した蹴月でしたが、晩年は郷里の古牧に帰り、亡くなっています。
なお私の手元には、蹴月が明治45年の善光寺御開帳にあわせてやまと新聞信州版に連載した、『善光寺』という古牧を舞台にした小説の切り抜きのつづりがあります。機会があれば紹介したいと思います。






コメント