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連載「疎開」⑩ 陸軍報道班員として活動した寺崎浩

更新日:7月23日

今年は戦後80年です。本会の小林一郎会長は、数年前から調査してきた、長野県内に疎開した文化人を冊子にまとめて発行します。


冊子の発行は7月末ですが、長野市民新聞に、6/28(土)から、「疎開 長野に暮らした著名人」の連載が始まりました。長野市とその近郊への疎開者連載は、今回が最終回です。


7/19(木)連載第10回は、小説家の寺崎浩(1904~1980)です。

岩手県出身で、スコットランド民謡「アニーローリー」の訳詞などでも知られています。


日本開戦直前の昭和16年11月に、寺崎は陸軍報道班として徴用されました。

文化人や新聞記者などで編成されていて、寺崎はマレーシアで活動。

昭和17年12月に帰国しました。


寺崎が家族と共に疎開したのは、信濃毎日新聞記者の家の2階でした。

8月13日の長野空襲も家の2階から見て、記録しています。


8月14日、寺崎は家族を連れて山ノ内町の角間温泉に移りました。

小林会長は「角間には、『放浪記』の林芙美子が夫婦で疎開していました。一緒に翌日の玉音放送を聴こうと考えたのです。寺崎はすでに日本の降伏を知っているのですが、蚤が気になってその夜はなかなか寝付けませんでした。」と紹介しています。


連載は終わりましたが、県内に疎開した文化人をまとめた冊子は、7/31に完成して、会員の皆様に発送します。

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