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連載「疎開」⑦ 読売新聞の社長に迎えられた馬場恒吾

今年は戦後80年です。本会の小林一郎会長は、数年前から調査してきた、長野県内に疎開した文化人を冊子にまとめて発行します。


冊子の発行は7月末ですが、長野市民新聞に、6/28(土)から、「疎開 長野に暮らした著名人」の連載が始まりました。長野市とその近郊への疎開者連載は、7月半ばまで続く予定です。


7/12(土)連載第7回は、ジャーナリストの馬場恒吾(1875~1956)です。


岡山県出身で、政治評論家として活動していた馬場が、妻子を伴って綿内村(長野市若穂綿内)に疎開したのは、昭和20年(1945)5月下旬でした。


半年間、綿内で暮らした馬場は、自然の美しさを堪能しただけでなく、ジャーナリストとしての使命を忘れず、農村各方面の意見を聞き、その背景を解説しました。


小林会長は「馬場にとって疎開は、いわば雌伏(しふく・活躍の機会をじっと待つ)の時代でした。」と書いています。


昭和20年11月末に東京に帰った馬場は、すぐに読売新聞社に社長として迎えられました。

戦犯となった、読売新聞社の顔だった正力松太郎が退陣した後を任されたのです。


小林会長は、「読売新聞社社長としての馬場の業績は、昭和21年に現在の『読売新聞』のロゴを定め、昭和22年にはプロ野球の巨人軍を傘下に入れて読売巨人軍とするなど、日本一の発行部数を誇る現在の読売新聞の基礎を築いたことです。」と紹介しています。


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