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小林一郎会長が講演「長野県に疎開した文化人50人」

長野県図書館協会では、「昭和・現代史講座~現代の視点から信州の昭和・現代史を学ぶ~」を開催中です。


8 /11(金・祝)に、長野郷土史研究会の小林一郎会長が「長野県に疎開した文化人50人」の講義をしました。会場は八十二文化財団の4階AV研修室。70名程が聴講しました。


この日は、テレビ信州解説委員兼アナウンサーの伊東秀一氏の空襲体験者の記録集などの朗読や、近現代史研究に取り組んでいる大日方悦夫氏の講演もありました。


最後に登壇した小林会長は、長野県内の全域に疎開した文化人がいると紹介。これまで調査がされていなかった分野なので、今回、取り上げたと語りました。

小林一郎の講演「長野県に疎開した文化人50人」

小林会長は、学童疎開した子どもたちは、十代の多感な時期を信州で過ごして、それを糧に戦後、大きく羽ばたいていったと解説。また疎開というと学童疎開が取り上げられるが、集団でなく個人の疎開もあったと説明しました。


詳しく紹介したのは、次のような方々です。

松本市に7歳で疎開した歌手の島倉千代子、豊野町に疎開した民俗学者の宮田登。信州新町に疎開した作詩作曲家の窪田聡(久保田俊夫)、軽井沢の別荘に疎開した、劇団四季を結成した浅利慶太、小諸に疎開した永六輔。


小諸に学童疎開した、作曲家の小林亜星、神林温泉に学童疎開した、評論家の樋口恵子、上田八木沢に疎開して真田町に移った、漫画家の白土三平、中野市に疎開した松谷みよ子。


画家の石井柏亭、奥村土牛、小山敬三らは、信州美術会を発足。


音楽家の鈴木鎮一は、鈴木バイオリンの工場長として木曽福島に疎開(45歳)。その後、松本市で才能教育研究会を発足させました。平成4年には、サイトウ・キネン・フェスティバル松本が始まりました。(94歳)


また幸田露伴、娘の幸田文、孫の青木玉は、坂城町の露伴の後妻、八代の家に疎開していました。

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