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寛慶寺の徳本上人


念仏行者として全国を巡錫した徳本上人は、各地で熱狂的に迎えられました。


全国でもその名号塔が最も多いのが長野県、その中でも長野市が一番多いのは先日述べた通りです。

徳本上人が信濃を巡錫したのは文化13年(1816)4月1日から8月にかけてでした。


中でも、善光寺の脇にある寛慶寺には13泊もしています。


『徳本行者伝』によると、寛慶寺に逗留中のある夕、なんと室内に善光寺如来が出現されたといいます。上人が手を差し出すと、善光寺如来はその上にお立ちになった、ということです。

善光寺如来と徳本上人
慶応3年刊『徳本行者伝』の挿絵

徳本は「南無阿弥陀仏」と印刷した名号札を配布しましたが、寛慶寺では2万枚以上を配布しました。


そして寛慶寺で徳本上人から十念を受けた一人が、小林一茶でした(『浅黄空』による)。


徳本上人と小林一茶については、また別の機会にご紹介します。


そんな縁もあったため、2019年11月26日には寛慶寺にて「第3回念仏行者徳本上人研究会」が開催され、小林一郎会長は「小林一茶と徳本上人」と題した講演を行いました。


※小林一郎会長は『長野』第315号(2020年4月)に、「徳本の巡錫と一茶」を書いています。詳しく知りたい方はそちらもお読みください。本サイトから注文もできます。

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